今日は日本のレンガの歴史を勉強するため深谷市に行って参りました。
深谷といえばネギが有名ですが実はレンガでも有名で東京駅や迎賓館のレンガも深谷で焼かれたものなのです。
明治政府は日比谷周辺を近代的建築による官庁街とする計画を立ち上げ、建物群を西洋風の煉瓦造りにするため多量の煉瓦が必要となしました。
そこで良質な粘土と利根川から隅田川につながる水路があることからここ深谷に煉瓦工場を建設することになったそうです。
こちらは煉瓦工場の建設とレンガの製造指導にあたったドイツ人煉瓦技師チーゼの住居兼事務所として建てられた建物ですが現在は史料館となっています。
内部も重厚感があり当時の面影が残っています。
当時製造さていたレンガのサンプルもあります。
工場全体の模型もありますが現在はほとんど残っていません。
こちらがホフマン輪窯の断面模型。陸上競技場のトラックのようにトンネル状の窯が設置されています。このトンネルは一周56.5mありその中を18の部屋に区切りながら順番に窯詰め・予熱・焼成・冷却・窯出しの工程がエンドレスに続くようになっています。
現代の主流である窯の中を煉瓦が移動していく方式ではなく、火が順番に移動していくという方式だったのですね。
約半月で火が一周し生産能力は月産65万個だったそうです。
当時の道具なども展示されています。
役物の煉瓦もあります。
更に興味深かったのは当時の工場の設計図。
もちろん手書きです(^_^;)
当時の工場の様子を撮影した写真もありますが凄い規模です。
この工場で建造された建物の写真も展示されています。
水路から鉄道を使った大量輸送に切り替えたのが明治28年で、当時の鉄橋も残っています。
そしてこちらが現存する最後のホフマン輪窯6号窯の内部
上部の穴は燃料である粉炭を投入するためのもの
下部の穴は大きな煙突へと繋がっているそうです。
時代の波に押されこの日本煉瓦製造株式会社は、平成18年約120年に及ぶ会社の歴史に膜を降ろし、この旧煉瓦製造施設は国重要文化財として深谷市が管理しているそうです。